離婚調停・裁判のストレスで心が折れ、傷ついている方
始めまして、ですね、たぶん。
ここは検索でたどり着きましたか?
離婚調停・裁判のストレスで心が折れ、傷ついていますか?
職業柄,たくさんの離婚事件を見てきましたが,皆一様に精神的につらい様子です。私の目から見て,人間性とは関係なく,皆悩んでいます。人柄のよさそうな人でも悩みます。悩みでストレスがかかり,調停で仲間がおらず,一人で対応するのがつらい,という理由で弁護を依頼された方もいました。離婚事件はそれほど精神的に大変な事件だということです。
悩むことは避けることができないと思います。
でも,一応説明しておきます。
それは,相手から何を言われても,悩む必要はありません,ということです。理由は以下述べます。
まず,他人の行うあなたに対する評価はあてになりません。
あなたとの距離が遠い人は,あなたがどういう人だとしてもあまり関係がないから,いい人だとか悪い人だとか,必要な人だとか,必要でない人だとか,判断する必要がありません。離れたところにいる人はあなたをほとんど評価しません。あなたとの距離が近い人,そういう人にとってあなたがどういう人であるか、はその人にとって大問題です。いい人だとか悪い人だとか必要な人だとか,必要でない人だとか,判断する必要があります。距離が近い人はあなたを評価します。距離が近い人にとって,どういう人がよい人か。それは「自分に都合のいい」人。あなたが客観的に良い人かどうかではなく,距離が近い人にとって,あなたがどのくらいその人に貢献できるか,それによって評価が決まります。ですから,他人の評価は,その他人の主観次第,主観的な評価です。離婚する配偶者は,遠い昔,自分にとってあなたが幸せをもたらすとして,あなたを高く評価したから,結婚したのです。愛情の喪失も含めいつのまにか自分に都合が悪くなったから,低く評価するようになっただけです。他人は自分の都合であなたを評価します。
また、いくら距離が近い人でも他人を評価する際,他人,つまりあなたの「心情」までは読み切れていません。あなたの心情を知らないままあなたの行動を評価するということは不当ですし,客観的ではありませんね。その意味でも他人の評価は評価する人の主観に左右され,不正確なものです。
まして,「価値観」は人それぞれ。あなたが同じことをしても👍をつける人もいれば,👎をつける人もいます。異なる価値観の世界でもがいていても時間の無駄。あなたの持つ価値観の世界に一刻も早く戻って、活動を再開しましょう。人波から離れて,これからの人生でどういう価値観を一番大切にするのか,を考えてみるのも良いです。
離別で否定的な要素は必ずあります。
あなたを否定する人を否定しないと、自分を否定することになると思っていませんか?
相手によるあなたの否定が客観的に正しくないのであれば、相手の否定を否定する必要はありません。子供の親離れについて話ますと,親離れは、子供による親の否定から始まるのではないでしょうか。親として、子供のそういう親(自分)の否定は仕方のないことで、子供の否定を肯定的に受け取るしかないでしょう。大人同士の離別も同じです。否定的な要素があるから離別するのです。
離別に原因を作った人のいる離別もあります。しかし,どちらの人も悪くない離別もあります。そういう人たちの離別は,誰が悪いという問題でなく,別れるべき時が来たから離別するのです。
さきほど説明した通り,離別の原因は,二人の人格が低下したからではなく,お互い,自分の都合で,相手の評価が低くなったのです。別れたいという都合のため,相手を後付け的に低く評価するということもあるかもしれません。
離別自体悲しいことですね。
しかし,ほめられたこともあるでしょう。感謝されたこともあるでしょう。配偶者との生活のなかで,評価されたこと,否定されたこと,その全ての合算値が一緒にいた意味になるのではないでしょうか。大切な人生の一時期をともに過ごしました。そこから離別にいたる落差は大きいですが,しかたありません。落差の大きい最後の方ばかりに囚われて,一緒にいた全体的な意味を測るのは間違いです。離別したからといって,過去すべてを否定することはないと思います。
裁判の話に戻って終りとします。私の感想です。
被告側に立って、初めて原告の訴状を見たときの私の印象です。離婚原因について結構重いことが書かれていることもありますが、イワシの小骨をかき集めたような悪口しか書かれていないこともあります。離婚事件は悪口の言い合いですから仕方がないのですが、後者を見ると、悪口を言う材料に乏しくこのくらいのことしか書けないのか、と思ったりします。それでも書かれた方は、グサッと来ているのが、よくわかります。
原告側に立って,被告の答弁書その他の主張を見たときの私の印象ですが,お互い様の部分もあるな,と正直思うこともあります。これまで長い年月よく我慢してきたものだと,内心,敬服してしまうこともあります。被害者という言葉が浮かびます。私はそういう当事者を見て,その「我慢」に感動してしまったりします。
悪口の言い合いは別れのセレモニーと割り切ってください。
少しでも,心の整理に役立てば書いた甲斐がありました。